言葉の力が引き寄せた数々の出会い
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私と歌との関係は、つらくて、いやで別れようと思うのだけれど、いつも戻ってしまう、気がつけばそこにいる…という表現が自然でしょうか。プロとして歌を唄い始めて23年の時を重ねましたが、私が最初に「声」を出したのは大学在学中、とあるカルチャークラブでカンツォーネを唄ったのが最初です。その時の思い出は今でも鮮烈で、文字通り背中を電流が走り、とめどもなく涙が頬をつたってきたのです。「ああ、私は生きている」「こんな素晴らしいことがこの世にあるのか」と。そして直感的に、これが私の生きていく道だと信じて今日まで来ることができました。
私がプロとして最初のステージに立ったのは東京・銀座にあったシャンソニエ「銀巴里」でしたが、私はシャンソンが好きだったのではなく、日本語で唄える音楽を追求したかったし、日本人のための日本語の歌をどうしてもやりたかった。この目標がなければ、ジャズシンガーになっていたかもしれませんし、フランス語で唄っていたかもしれません。私はシャンソンという枠にはとらわれたくはありませんが、「言葉」にはどうしてもこだわりたかったのです。しかし売れない日々が長く続きました。そんな中で出会うことができたのが作詞家の松本隆さんでした。
松本さんは日本語のロックを作り上げた先駆者であり、松田聖子さんの一連のヒット曲の作詞を手掛けられた方です。また、松本さんのペンによる太田裕美さんの大ヒット「木綿のハンカチーフ」の詞は、とてもドラマ性があります。そんな松本さんと出会い、詞の提供やプロデューサーになっていただいたことが、私の運を変える大きな転機になりましたね。私の歌に物語性のあるものが多いのも、こんな理由があったのです。松本さんだけでなく、どこまでも言葉にこだわりを持ち続けているミュージシャンの方々と自然と関わるようになったのも、言葉を通してお互いに琴線に触れることがあるからなのでしょう。詩人の谷川俊太郎さんや作家の江國香織さんなどからも詞を提供いただけたのも、言葉の持つ力をお互いに信じていたからだと思います。
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「切ない思い」をいつまでも忘れないで
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どんな人生でも、それぞれにいとおしく、切なく、悲しく、そして面白い尊いものだと思うんです。もしこの思いがないと、私の歌はきっと味気のないものになってしまうでしょう。コンサートで私の歌に涙して下さっているお客さまを見ると「言葉が伝わっているんだな」と、感謝の気持ちでいっぱいになります。辛くて泣きたくても、泣く機会がなかったお客さまがコンサートで泣ける。泣くことは決してマイナスの作業ではありませんし、泣くことで次の日には元気になれるはず。私も少しは世の中の人のお役にたっているんですね。
私の歌を聴いてくださるのは、シニア世代の方が少なくありません。そんな大人たちは若い頃から洋楽、歌謡曲を問わず様々な音楽を聴いてきた世代であるはずなのに、現在の音楽シーンは若い人中心で肩身の狭い思いをしているようです。「そうではないのよ!」とポンと背中を押す役目の一端を私は担わさせてもらっています。昔の曲を聴いて、若い頃よもう一度、ではなく、私の新しい歌で、心切ない思いをもう一度よみがえらせて欲しいし、胸をときめかせて欲しいですね。
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水戸市生まれ。1978年「世界歌謡祭」に日本代表として参加。1982年からシャンソニエ「銀巴里」に出演しプロ活動をスタートする。2002年に発売したアルバム「愛の讃歌」に収録された「わが麗しき恋物語」が“聴くものすべてが涙する”と話題を呼びシャンソンでは異例の大ヒットとなる。現在は毎月のシャンソニエでのライブの他、エッセイ執筆、テレビ、ラジオ出演等あらゆる方面で活躍中。今秋11月16日にはニューシングル「さよならを 私から」をリリース。11月21日には東京・渋谷Bunkamuraシアターコクーンにてコンサートを開催する。
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